エンゲージメント
暮らしにゆとりと楽しさを―「時産」アイデアで目指す「ワーク・ライフ・バランス」とは?
公開日:
さまざまな社会背景から1980年代にアメリカで生まれた「ワーク・ライフ・バランス」という言葉。日本でもバブル経済崩壊後の1990年代から注目され始めました。経済の停滞とともに雇用も変化し、働き方も多様化していったのです。そのなかで、働きながら生活の充実やゆとりを意識することも多様化の1つとして捉えられ、2000年代に入ると政府からもワーク・ライフ・バランスに関する指針が出されるようになりました。しかし現実には、まだまだ仕事と生活のバランスを取るのは難しく、特に共働きや子育て中の家庭では、家事負担で苦しむ女性も多く存在します。
そういった社会的な課題を受け、生活に本当のゆとりをもたらそうと、暮らしを楽しむための情報発信を行っているのが「ゆとりうむプロジェクト」です。今回は理事長・筒井淳也教授に、ワーク・ライフ・バランスの本来の意味やゆとりうむプロジェクトとしての取り組み、社会的な課題や解決方法、HR領域との関係性についてお話を伺いました。
【プロフィール】
ゆとりうむプロジェクト理事長 筒井 淳也氏
立命館大学産業社会学部教授、一橋大学大学院社会学研究科 博士後期課程・博士(社会学)、内閣府少子化社会対策大綱検討会委員、日本家族社会学会理事、京都市男女共同参画審議会会長、八尾市男女共同参画審議会会長、草津市男女共同参画審議会会長などを歴任。
主な著書に『仕事と家族』(中公新書)、『結婚と家族のこれから』(光文社新書)など。
目次
仕事と家庭生活を両立させるだけではない、本来の「ワーク・ライフ・バランス」とは
――今日はよろしくお願いいたします。最初にゆとりうむプロジェクトの成り立ちや事業内容、ご自身の自己紹介をお願いいたします。
よろしくお願いいたします。
「ゆとりうむプロジェクト」は、家庭生活に焦点を当て、人々の生活にもっと楽しさとゆとりをもたらす方法を発掘し、情報発信して行きたいという背景で発足しました。
世界的に見ても、日本は特に家庭での家事負担が重いのをご存知でしょうか?夫婦共働きが増え、育児と家事をこなしながら仕事をする女性が増えています。にもかかわらず、「家事や料理の時短は手抜き」と罪悪感を持ち、無理をしている人まで。そこで、多くの企業に賛同いただき、「家事ハック」「時産レシピ」など、ゆとりある生活のためのアイデアや情報を、WebサイトやSNSを通して広めています。プロジェクトに参画しているのはファイナンシャルプランナーや料理研究家、ジャーナリストなど、多方面の専門家たちです。私自身は社会学者として家族社会学や計量社会学を専門としており、研究のなかで働き方や家族の在り方などの調査を行ってきました。それらをゆとりうむプロジェクトで活かせるよう、さまざまな取り組みを行っています。
――ありがとうございます。ではまずは「ワーク・ライフ・バランス」の基本について教えていただけますか?また、「ワーク・ライフ・インテグレーション」「ワーク・アズ・ライフ」など、類似する言葉との違いについてもぜひ教えてください。
「ワーク・ライフ・バランス」という言葉自体はよく耳にするという方も多いと思います。仕事と生活のバランスを取り、両立させていこうという考え方です。しかし、単に両立できたとしても余裕がない、生活に楽しみがないという現実もあります。または仕事こそが人生という方もいらっしゃるでしょう。つまり、仕事も生活も自分の好きなように楽しみたいというのが多くの人の理想ではないでしょうか。
「ワーク・ライフ・バランス」に類似する言葉として、「ワーク・ライフ・インテグレーション」や「ワーク・アズ・ライフ」などがありますが、専門用語として明確に区別・定義されているものではなく、捉え方も人によって多少違いがあると思います。これらはあくまで概念であり、その人が必要とする考え方を選んでいけばいいのです。
「ワーク・ライフ・バランス」については2007年に内閣府が「仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章」を発表し、指針や数値目標なども掲げられています。ただ、これがすべての人に当てはまるわけではなく、個人の望むバランスに近づけられることが重要だと考えています。専門的に言うと、仕事と家庭生活が互いの邪魔をしてしまう状態を指す「ワーク・ライフ・コンフリクト」という言葉があるのですが、この「ワーク・ライフ・コンフリクト」がない状態、というのが理想的な状態と言えるのではないでしょうか。
労働時間を減らすための時短ではなく、暮らしのなかに楽しさをもたらす時間を産む「時産」という考え方
――ゆとりうむプロジェクトが考える理想的な「ライフ」の定義などがあれば教えてください。
ゆとりうむプロジェクトは、共働き夫婦や子育て世帯など、働きながら「自分の生活を楽しむ時間が欲しい」と考えている人に向けて、活動を行っています。ワークとライフという言葉の範囲をどう定めるかは難しい部分がありますが、人によって定義は違っても「自分のための自由な時間を充実させていく」というのが、ライフにおいて一つの理想形です。家事をしてもいいし、趣味に使ってもいい。私たちはその時間を産みだす方法を模索したり、家事・育児が楽しいものになるようクリエイティブ性を加えたりする方法を発信しています。
――家事の工夫などをはじめとした生活の「ゆとり」は、円満な家庭生活にもつながるかと思います。具体的にはどのような「ゆとり」が必要でしょうか?
ここ数年はコロナ禍で在宅時間が増え、それまでは夫婦別々に過ごしていた時間も一緒にいることが多くなったという家庭が増えたのではないでしょうか。そうすると夫婦の距離感に変化が起き、衝突が多くなってしまう場合があります。そうした状況を回避し円満な家庭生活を維持するためには、「時間的なゆとり」を意識することや、家庭内であってもお互いに一人で過ごせる場を設けるなどの「空間的なゆとり」、互いの価値観を押し付けすぎない「心理的なゆとり」の3つが鍵となるでしょう。
――ゆとりうむプロジェクトが推奨する、施策の具体例を教えていただけますか?理想的な「ゆとり」を生み出す方法について、ぜひ教えてください。
ゆとりうむプロジェクトの施策の一つに、ラップやフリーザーバッグを販売する企業と提携して進めている「冷凍貯金(※)」というものがあります。
※参考:旭化成ホームプロダクツ「サラン&ジップで冷凍貯金」
https://ahp-web.jp/reitou-chokin/
これは肉・魚・野菜・おかず・下味冷凍(※)などを冷凍ストックすることで、忙しい日の調理時間やメニューを考える負担を減らそうというもの。協賛企業の公式サイトでは冷凍する際の保存テクニックやレシピを公開しています。冷凍というと冷凍食品などの既製品も多く販売されていますが、手作りすることで家族の好みやアレルギーにも対応でき、時間があるときに冷凍しておくことで時間と心にゆとりが生まれ、さらに節約にもつながるという取り組みです。
また、このようなテクニックを公募して広める取り組みもしています。それが「家事ハック大賞」です。たとえば、食器をもとの場所に戻すといった些細なことのように、価値観や習慣の違いによって労働として認識されていない家事があります。でも、誰かがやらなければいけない。それを私たちは「名前のない家事」と呼んでいます。「家事ハック大賞」では、こうした名前のない家事を解決する優れたアイデアをさまざまなご家庭からご紹介いただきました。2022年には300件を超える応募が集まり、多くのメディアからも注目されました。
※参考:ゆとりうむプロジェクト「【前編】家事ハック大賞2022結果発表! ~グランプリ・部門賞編~」
https://yutorium.jp/case-study/29/
――一般家庭の優れたアイデアを世の中にも共有できる仕組みは素晴らしいですね。これからは各個人はもちろん、企業も「ワーク・ライフ・バランス」について考えるべき時代だと思いますが、具体的にはどのような影響をもたらすのでしょうか?たとえば、従業員エンゲージメントとの関係性についてはどうお考えですか?
そうですね。時代が変化し、時間をかければいい仕事ができるという考え方は過去のものになっています。さらに共働きが当たり前になり、家事・育児などの負担を抱えている人も多いはずです。そういった状況を企業や人事部が理解しておかないと、従業員のエンゲージメントにマイナスの影響を与えるでしょう。大企業では、すでに転勤などについても安易に行わないという風潮が広まっています。そうした社会の変化を受け、企業として従業員によってさまざまな家庭環境があるということを大前提とし、人事制度の見直しや企業文化の改革などを行っていく必要があるでしょう。
ワーク・ライフ・バランスとHR領域の関係性とこれから
――国内外において、ワーク・ライフ・バランスに対する考え方や行動は今後どのように変化していくと思われますか?
労働時間を圧縮していこうというのは世界的な動きだと思います。特に長時間労働の人たちの時間を短縮し、できるだけ働きやすい条件へとある程度平均化していくという流れになっているのではないでしょうか。特に海外では1時間だけ業務から抜けたり、急な休みが取りやすかったりと、働き方の自由度や裁量が日本よりも進んでいると思います。もちろんすべての企業ではありませんが、私事に対する理解度も日本と違うのです。
――女性のキャリアにおけるワーク・ライフ・バランスの捉え方は今後変動していくと思われますか?
これはすでに変わってきているのではないでしょうか。女性も「稼ぎ手意識」を持つようになってきていると思います。どのくらい稼ぐかという金額の問題ではなく、「自分も働いて家庭を支える存在だ」という自覚です。これまでは「奥さんが働いていても一家の大黒柱は旦那さん一人」という意識が強かったと思いますが、これからは「稼ぎ手意識」を持つ夫婦が二人で家庭を支えるというカタチが増えていくでしょう。そうすると、ワーク・ライフ・バランスに関しても夫婦が同じように家庭責任を持つことになります。どちらか一方に家事負担がかからないようにすることが大切になっていくでしょう。
――最後に、社会学の観点から見て、HR領域またはHR市場の今後をどのように予測されますか?働き方や採用・雇用形態、報酬制度、人的資本についての考え方など、ぜひ多岐にわたってご意見をお聞きしたいです。
これまでは、時間外労働を含む労働時間、職務内容、勤務地などは企業の指示が優先されてきましたが、今後は変わってくると思われます。すでに人事部の方などは意識・実感されていると思いますが、先述のように転勤などは減ってきていて、それによる労働調整の不足、業務量や労働時間の増加などの課題も出てきているでしょう。そうした課題に対して人事部がどう人事評価につなげていくのかが重要です。これまでのように業務が増えたら人を移動させる、労働時間を増やすなどの対応は難しいため、新たな対策を考えていく必要があるのです。
その対策の一つにジョブ型雇用があります。ジョブ型雇用とは、職務内容や企業が求めるスキルに対する採用で、グローバルスタンダードにもなっています。ただし、自社の課題をしっかりと理解したうえで取り入れないと、担当職務がなくなった場合や、採用した人材のスキルが水準に満たない場合などに問題が生じる可能性があります。また、成果主義との違いも把握しておきましょう。もし、人的資本の不足が問題の場合、アウトソーシングの導入もこれからの時代は積極的に検討していくべき方法かもしれません。
――ジョブ型雇用への注目、それに伴う人材の流動性はますます高まっていきそうですね。本日はワーク・ライフ・バランスについて、企業が今後目指すべき働き方、雇用、さらにはHR領域についてまで、幅広く有意義なお話を聞かせていただきありがとうございました。
この記事を書いた人